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- Date:2025年02月02日
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いよいよ11月! 一回生の柴田です。
文学フリマまであと三日ですよ!!!!!
ここでもう一度告知をしておきます。
東京に住んでる友達がいる人は、ぜひぜひ宣伝しておきましょう。
(中嶋さんと私で東京に行きます。)
サークル名 : 「同志社文芸同好会」
ブース : A-12(一階)
配布物 : 『紫 8号』 ¥200
『紫 7号』
しおり
*部員の小説が載った会誌です。
そのほかにも、8号では芥川賞作家の藤野可織を取り上げ、作品レビューや読書会録を載せています。
7号では筒井康隆の『大いなる助走』の読書会録、6号では作家の遠藤徹へのインタビュー、『エルアレフ』『退出ゲーム』『飛ぶ教室』の読書会録を載せています。
次に部員が参加している別団体の宣伝です。
サークル名 : 「おにゃんにゃん-bullet」
ブース : C-31(一階)
配布物 : 『半可通信』 ¥100
@bulletONYAN
「今、セカイを楽しくする文楽」をキャッチコピーにしたカルチャー&小説誌。
今回のテーマは「過去・時間・未来」。
企画《未来》では電子書籍やAR詩劇について取り上げるほか、音楽、映画についてそれぞれ特集しています!
*草場さん、河口さん、後藤さんが参加しています。
サークル名 : 「食人舎」
ブース : C-57(一階)
配布物 : 『文学とはROCKである。』vol.3 ¥1000
『文学とはROCKである。』vol.2 ¥1000
『文学とはROCKである。』vol.1 ¥500
http://canivasha.jimdo.com/
@shokujinsha
特集 、ビブリオバトル創始者、谷口忠大氏インタビュー!
執筆者「戦う」アルバムレビュー
オリジナル音楽CD付属!
他多数の執筆陣による小説、漫画、イラストを掲載。
*渡邉さん、藤野さん、上條さんが参加しています。
こんにちは。
4回の上條ですお。
10月9日と12日は芥川賞を読む会―武器を考える―でした。
皆さん芥川賞にどんなイメージを持っていますか?
堅い?よくわからない?もらっといてやる?奇人?変人?
少なくともプラスのイメージはあまりない様な気がします。
芥川龍之介賞は無名及び新人の作家による純文学の短編に与えられる文学賞です。候補となる作品は「文學界」「群像」といった、純文学を掲載している雑誌から選ばれ、年に2回発表されます。
悪いイメージなのはたぶん純文学というジャンルのせいではないでしょうか。
何だか小難しいことをうだうだいってる暗ーい小説でしょ、みたいな。
そんなあなた、次の文章を読んでみてください。
「夕暮れおまえのことを思いだす 夕日は九州に向かって沈んでいく 珠恵 珠恵 珠恵
夜になってもさびしがるなよ 俺の心はおまえのものだから」
小学生かよあのデブ。と叫びたくなりました。
井口さんが、
「すごいでしょ、これ」
と笑いながら言ったので、私も一緒になって笑いだしました。
「これって全部詩なんですか」
「全部、詩なのよ」
「もっと見ていいですか」
あるいはこんな文章。
「ひぃっ」
マキが血を見て悲鳴を上げる。
「あ……」
そうだ。私はふと思い出す。アマのお気に入りのシルバーリング、今日も右手の人差し指と中指にはめていた。鈍い音の正体が分かって、全身に冷や汗がにじんだ。ゴッ……ゴッ……THE・骨と銀がぶつかる音。
上は第134回芥川賞受賞の絲山秋子「沖で待つ」、下は第130回芥川賞受賞作の金原ひとみ「蛇にピアス」です。どうですか、これ。なんか純文っぽくなくないですか?ちなみに上はこういうポエムがいっぱい入ったハードディスクをぶっ壊す話で、下は舌にピアスを開ける話です。
純文学というだけでちょっと敬遠してしまう人も多いはずです。でも、普通に面白い小説だってあるよ、ってことを知ってもらって、普段触れない純文学について考えてもらおう、という企画でした。
2日を通して2000年以降の芥川賞作品全てに触れるつもりでしたが諸事情により(もっといい印刷機が欲しい)(もっと愛想のいい支援課が欲しい)、9日は芥川賞と純文学の概要に触れつつ半分の作品を見て、12日は自分の読んだ芥川賞作品をビブリオバトル方式で紹介する、ということになりました。
今回は作品を読む上で五つの「武器」を提示してみました。
①キャラ ex.『乙女の密告』『八月の路上に捨てる』
②人間ドラマ ex.『しょっぱいドライブ』『ひとり日和』
③文章実験 ex.『アサッテの人』『abさんご』
④文体 ex.『蹴りたい背中』『苦役列車』
⑤宗教・国家 ex.『中陰の花』『時の滲む朝』
です。傾向として①②に力を入れる作家はエンタメに進出できる振れ幅を持っている(吉田修一、長嶋有)など、③⑤は数が少なく、④が最も多いというものがありました。
芥川龍之介(賞の名前ともなっており、賞を設立した菊池寛の友人でもあります)は、文学についてこんな風に語っています。
僕は前にも言ったように「話」のない小説を、――或は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思っていない。しかしこう云う小説も存在し得ると思うのである。
「話」らしい話のない小説は勿論唯身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。
『文芸的な、余りに文芸的な』
「詩に近い小説」、すなわち言葉そのものに重点を置いた小説、個人的な言語で語られる小説。こうした純文学観は長い間文学界をけん引してきました。(「詩に近い小説」の例として芥川があげた志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれています)
文体に重きを置いた作家が多いのにもうなずけるかもしれません。
ビブリオバトルはそれぞれ紹介の仕方が違ってとても面白い時間でした。
円城塔に始まり、石川淳、平野啓一郎、絲山秋子、藤野可織(あと田中啓文)など、様々。
これをきっかけに、純文学にも興味を持ってもらえたら嬉しいと思います。
純文とかエンタメとかそんなん関係なしに面白かったらいいんじゃね?
どうも。四回生の河口です。
風邪で喉がやられて死にそうなのが最近の悩み。
好きに更新したらええや~ん、と担当の方がおっしゃったのでやりたい放題します。
今回は最近あった、ちょっとSUGEEお散歩の感想です^^
皆さんは「セカイカメラ」というアプリをご存じでしょうか?
ネットで検索してみると直にわかるのですが、これはスマートフォンのGPS、内臓電子コンパス機能を用いた、AR(=Augment Reality:拡張現実)アプリの一種です。
様相としてはSNSで、例えばtwitterで呟くように、ある呟きをある場所で行うと、その呟きが、「エアタグ」というものになって、その場所を訪れた他の人はセカイカメラを通してそれが見えるようになる、というのが基本の機能です。
twitterの位置表示機能(どこで呟いたかわかるあれ)とカメラ機能、GPS機能にSNS要素を付けたというのが大体の所でしょうか。
要は、例えば僕が今出川前のコンビニで「今日のファ〇チキ、来てる!」と呟くと、後でその場所を訪れた誰かが「ああ、今日のファ〇チキは美味しいのか!」と知ることが出来、某コンビニは僕の宣伝のおかげで売り上げが上がるかもしれない、という按配なのです。
さて。先日、京都国際舞台芸術祭のゲストアーティストの一人、ni_kaさんの手によって、このARアプリを応用した、「AR詩劇」なるものに先日行ってきました。
画像をお見せしたいのですが、僕の低スぺPCでは何故かうp出来ない……
skydriveに参考用の画像を載せたので見たい方はどうぞ。(すいません、うpし直せる方、方法わかる方いたら連絡ください……orz)
概要としては、我々(=読者)がAR空間に浮かんだ小説(詩劇)、文章を断片的に追いながらも、その小説内部とAR空間、現実空間がリンクしており、「体験できる小説(詩劇)」というもの。
小説の中で主人公が体験する、「キティちゃん」や「渡り蝶」が一杯に広がる出町柳商店街という空間に、我々は自身の現実感覚そのままに体験することが出来ます。
そしてその「体験」は空間、感覚のみにとどまらず、「セカイカメラ」のSNS性によって、参加さえできる。
単なる、電子デバイスを用いたARGと言ってしまえばそれまでですが、しかし、今回のこれは私にとっては、とても斬新で刺激的でした。「目で追うこと」だけで文章を捕まえていた今まで。けれどもこの空間では足も使い、手も使う。全身的感覚で享受できる、ある種新しい芸術作品の形を垣間見たような気がしたのです。
そしてそれを支えている電子メディア、科学技術等の「媒体」の発展がここまで来ている、ということに対する驚愕。
人生捨てたものじゃないですね。まだまだ未来は明るいという希望が湧いてくる沸いてくる。
飛浩隆というあるSF作家の名著、『ラギット・ガール‐廃園の天使Ⅱ‐』で、こんな一節がある。これは作品の舞台となる仮想空間の開発に関しての部分。
「ぼくはね、現実世界に対してなんで右クリックが利かないのか、それが子供のころ
から歯がゆくってさ」
初対面の日、学内のカフェテリアでランチをぱくつきながら教授はそう言った。思わず訊きかえした。
「それは、あの右クリックですか」
「うん、あの右クリック」
ちょっとなつかしい。もうあのデバイスはないけれど、この言葉だけはかろうじて残っている。
「……現実に右クリック?」
「だって理不尽じゃないか。西日に向かって運転するとき、だれだって太陽のあかりを落としたいと思うでしょう?」
「そうでしょうか」ふつうはサングラスの算段をするだろう。
「学内のカフェでありついたパスタのソースに我慢できないときに」教授はパスタの皿にフォークを寝かした。「視界のすみにスライダを表示させて味のバランスをいじりたくならない?」
この一節や、他にも最近なら伊藤計劃『ハーモニー』、神林長平『ぼくらは都市を愛していた』他、様々描かれてきた、「SF的ガジェット」としての「仮想空間」というもの。今回の試みは、これら「仮想空間」が単なるお話の世界でなく、実際の我々の世界でも起こり得るかもしれない、手の届きそうな未来の一端として、しかも芸術に応用して見せてくれた気がします。
もし、皆さんも、機会があれば是非、このアプリや今回のアーティストさん、「仮想空間」というテーマ等に興味を持っていただけると嬉しく思います。