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- Date:2025年01月22日
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こんにちは。
4回の上條ですお。
10月9日と12日は芥川賞を読む会―武器を考える―でした。
皆さん芥川賞にどんなイメージを持っていますか?
堅い?よくわからない?もらっといてやる?奇人?変人?
少なくともプラスのイメージはあまりない様な気がします。
芥川龍之介賞は無名及び新人の作家による純文学の短編に与えられる文学賞です。候補となる作品は「文學界」「群像」といった、純文学を掲載している雑誌から選ばれ、年に2回発表されます。
悪いイメージなのはたぶん純文学というジャンルのせいではないでしょうか。
何だか小難しいことをうだうだいってる暗ーい小説でしょ、みたいな。
そんなあなた、次の文章を読んでみてください。
「夕暮れおまえのことを思いだす 夕日は九州に向かって沈んでいく 珠恵 珠恵 珠恵
夜になってもさびしがるなよ 俺の心はおまえのものだから」
小学生かよあのデブ。と叫びたくなりました。
井口さんが、
「すごいでしょ、これ」
と笑いながら言ったので、私も一緒になって笑いだしました。
「これって全部詩なんですか」
「全部、詩なのよ」
「もっと見ていいですか」
あるいはこんな文章。
「ひぃっ」
マキが血を見て悲鳴を上げる。
「あ……」
そうだ。私はふと思い出す。アマのお気に入りのシルバーリング、今日も右手の人差し指と中指にはめていた。鈍い音の正体が分かって、全身に冷や汗がにじんだ。ゴッ……ゴッ……THE・骨と銀がぶつかる音。
上は第134回芥川賞受賞の絲山秋子「沖で待つ」、下は第130回芥川賞受賞作の金原ひとみ「蛇にピアス」です。どうですか、これ。なんか純文っぽくなくないですか?ちなみに上はこういうポエムがいっぱい入ったハードディスクをぶっ壊す話で、下は舌にピアスを開ける話です。
純文学というだけでちょっと敬遠してしまう人も多いはずです。でも、普通に面白い小説だってあるよ、ってことを知ってもらって、普段触れない純文学について考えてもらおう、という企画でした。
2日を通して2000年以降の芥川賞作品全てに触れるつもりでしたが諸事情により(もっといい印刷機が欲しい)(もっと愛想のいい支援課が欲しい)、9日は芥川賞と純文学の概要に触れつつ半分の作品を見て、12日は自分の読んだ芥川賞作品をビブリオバトル方式で紹介する、ということになりました。
今回は作品を読む上で五つの「武器」を提示してみました。
①キャラ ex.『乙女の密告』『八月の路上に捨てる』
②人間ドラマ ex.『しょっぱいドライブ』『ひとり日和』
③文章実験 ex.『アサッテの人』『abさんご』
④文体 ex.『蹴りたい背中』『苦役列車』
⑤宗教・国家 ex.『中陰の花』『時の滲む朝』
です。傾向として①②に力を入れる作家はエンタメに進出できる振れ幅を持っている(吉田修一、長嶋有)など、③⑤は数が少なく、④が最も多いというものがありました。
芥川龍之介(賞の名前ともなっており、賞を設立した菊池寛の友人でもあります)は、文学についてこんな風に語っています。
僕は前にも言ったように「話」のない小説を、――或は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思っていない。しかしこう云う小説も存在し得ると思うのである。
「話」らしい話のない小説は勿論唯身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。
『文芸的な、余りに文芸的な』
「詩に近い小説」、すなわち言葉そのものに重点を置いた小説、個人的な言語で語られる小説。こうした純文学観は長い間文学界をけん引してきました。(「詩に近い小説」の例として芥川があげた志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれています)
文体に重きを置いた作家が多いのにもうなずけるかもしれません。
ビブリオバトルはそれぞれ紹介の仕方が違ってとても面白い時間でした。
円城塔に始まり、石川淳、平野啓一郎、絲山秋子、藤野可織(あと田中啓文)など、様々。
これをきっかけに、純文学にも興味を持ってもらえたら嬉しいと思います。
純文とかエンタメとかそんなん関係なしに面白かったらいいんじゃね?