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私の風邪は喉から。



どうも。四回生の河口です。
風邪で喉がやられて死にそうなのが最近の悩み。

好きに更新したらええや~ん、と担当の方がおっしゃったのでやりたい放題します。
今回は最近あった、ちょっとSUGEEお散歩の感想です^^

皆さんは「セカイカメラ」というアプリをご存じでしょうか?

ネットで検索してみると直にわかるのですが、これはスマートフォンのGPS、内臓電子コンパス機能を用いた、AR(=Augment Reality:拡張現実)アプリの一種です。
様相としてはSNSで、例えばtwitterで呟くように、ある呟きをある場所で行うと、その呟きが、「エアタグ」というものになって、その場所を訪れた他の人はセカイカメラを通してそれが見えるようになる、というのが基本の機能です。
twitter
の位置表示機能(どこで呟いたかわかるあれ)とカメラ機能、GPS機能にSNS要素を付けたというのが大体の所でしょうか。

要は、例えば僕が今出川前のコンビニで「今日のファ〇チキ、来てる!」と呟くと、後でその場所を訪れた誰かが「ああ、今日のファ〇チキは美味しいのか!」と知ることが出来、某コンビニは僕の宣伝のおかげで売り上げが上がるかもしれない、という按配なのです。

さて。先日、京都国際舞台芸術祭のゲストアーティストの一人、ni_kaさんの手によって、このARアプリを応用した、「AR詩劇」なるものに先日行ってきました。

画像をお見せしたいのですが、僕の低スぺPCでは何故かうp出来ない……

skydrive
に参考用の画像を載せたので見たい方はどうぞ。(すいません、うpし直せる方、方法わかる方いたら連絡ください……orz



概要としては、我々(=読者)がAR空間に浮かんだ小説(詩劇)、文章を断片的に追いながらも、その小説内部とAR空間、現実空間がリンクしており、「体験できる小説(詩劇)」というもの。

小説の中で主人公が体験する、「キティちゃん」や「渡り蝶」が一杯に広がる出町柳商店街という空間に、我々は自身の現実感覚そのままに体験することが出来ます。

そしてその「体験」は空間、感覚のみにとどまらず、「セカイカメラ」のSNS性によって、参加さえできる。

 

単なる、電子デバイスを用いたARGと言ってしまえばそれまでですが、しかし、今回のこれは私にとっては、とても斬新で刺激的でした。「目で追うこと」だけで文章を捕まえていた今まで。けれどもこの空間では足も使い、手も使う。全身的感覚で享受できる、ある種新しい芸術作品の形を垣間見たような気がしたのです。

そしてそれを支えている電子メディア、科学技術等の「媒体」の発展がここまで来ている、ということに対する驚愕。

 

人生捨てたものじゃないですね。まだまだ未来は明るいという希望が湧いてくる沸いてくる。

 

飛浩隆というあるSF作家の名著、『ラギット・ガール‐廃園の天使Ⅱ‐』で、こんな一節がある。これは作品の舞台となる仮想空間の開発に関しての部分。

 

「ぼくはね、現実世界に対してなんで右クリックが利かないのか、それが子供のころ

から歯がゆくってさ」

初対面の日、学内のカフェテリアでランチをぱくつきながら教授はそう言った。思わず訊きかえした。

  「それは、あの右クリックですか」

  「うん、あの右クリック」

   ちょっとなつかしい。もうあのデバイスはないけれど、この言葉だけはかろうじて残っている。

  「……現実に右クリック?」

  「だって理不尽じゃないか。西日に向かって運転するとき、だれだって太陽のあかりを落としたいと思うでしょう?」

  「そうでしょうか」ふつうはサングラスの算段をするだろう。

  「学内のカフェでありついたパスタのソースに我慢できないときに」教授はパスタの皿にフォークを寝かした。「視界のすみにスライダを表示させて味のバランスをいじりたくならない?」

 

この一節や、他にも最近なら伊藤計劃『ハーモニー』、神林長平『ぼくらは都市を愛していた』他、様々描かれてきた、「SF的ガジェット」としての「仮想空間」というもの。今回の試みは、これら「仮想空間」が単なるお話の世界でなく、実際の我々の世界でも起こり得るかもしれない、手の届きそうな未来の一端として、しかも芸術に応用して見せてくれた気がします。

もし、皆さんも、機会があれば是非、このアプリや今回のアーティストさん、「仮想空間」というテーマ等に興味を持っていただけると嬉しく思います。

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